スミスのがむしゃらオンガク。「テクノとジャズ」(第十二章)
- 就労継続支援B型 トキヲコエテ
- 3月28日
- 読了時間: 2分
以下についても触れておこう。
私は「ジャズをプレイする」と表現するが、
「テクノをプレイする」とは言わない。そもそも、
こういったジャンル的な用語を「プレイする」と表現するのも
珍しいのかもしれない。
この表現の違いは、これらの用語の解釈の違いから来ているものである。
テクノは「どのように産み出されたか」を示唆する言葉と私は考えており、それに比べ、
ジャズは「どのように演奏しているか」を指す言葉と考える。つまり、ジャズに至っては
「動詞」なのである。これを踏まえると、
Waleedの「Se Rompen」や、スクエアプッシャーの「Ultravisitor」は、
完全に「テクノ」である。パソコンで作られた音楽
「DTM」だからだ。
(「Ultravisitor」は、演奏を録音した音源に聴こえるかもしれないが、
これは勘違いである。このアルバムは「ライヴを模した音源」であり、
パソコンで緻密に作られた、まごうことなき「DTM」である。スクエアプッシャーもまた
「天才」である。)
そして、その表現方法(演奏方法と捉えることもできる)は、
「つまみを弄り続ける音」、ひいては
「流動的な音」 「インプロヴィゼーションされた音」
まとめると、
スクエアプッシャーの「Ultravisitor」と、Waleedの「Se rompen」、これらは、
「テクノの技法」で産み出された
「ジャズ的な奏法をする音源」なのだ。
テクノでジャズは可能なのである!(二回目)
、、、続く。
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