スミスのがむしゃらオンガク。「テクノとジャズ」(第十一章)
- 就労継続支援B型 トキヲコエテ
- 3月28日
- 読了時間: 2分
ジャズの本質は「インプロヴィゼーション」
つまり「アドリブ」だ。
あえて私は、それをジャズに結びつける一番太い糸にはしなかった。
それはなぜか。
「テクノでもジャズが可能」だと信じるからだ。
音楽を聴く術に問題はあるように思う。
ライブハウスに赴き、生でテクノを感じるのなら問題はない。
その時、その場のDJは、ほぼ確実に
「インプロヴィゼーション」を行っているだろう。
(アドリブでつまみを弄っている。)
しかし、私のような陰気臭い輩は、「CD音源」に頼って聴く他、術がない。
これではテクノなどの音源で「インプロヴィゼーション」を感じることができない。
私は、スクエアプッシャーの「Ultravisitor」に可能性を見た。
このアルバムは、もともと「疑似ライヴ(※1)」をテーマに作られた。
トーマス・ジェンキンソン(※2)本人がそう語っている。
つまり、「インプロヴィゼーションし尽くした音」で構築されたCD音源だ。
※1 ライヴの臨場感を打ち込みで表現した。
※2 スクエアプッシャーの本名。
さて、ここまでを簡潔にまとめよう。
スクエアプッシャーの「Ultravisitor」や、
Waleedの「Se Rompen」は、
「テクノ」でありながら「ジャズをプレイ」している。
なぜそう言えるか?
「つまみを弄り続けなければ出ない音」だからだ。
つまり、「流動的」であり「インプロヴィゼーションの賜物」なのだ。
テクノでジャズは可能なのである(!)
、、、続く。
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